3.1

少し寝すぎて頭が重いと感じつつ起床する。顔を洗いうがいをし、髭を剃る。いつから剃っても青白いままの顔になってしまったのだろうか。綺麗な顔に戻れないことを嘆きつつ、お湯をケトルで沸かす。その合間に干し残しの洗濯物を物干しに吊るす。今日は寒くて冷たく、服を裏返すのは冷たく感じる。ズボンは裏返して干すと乾きがいいなら最初から裏返して洗えばいいのではないだろうか。洗うときは表を上にしないと汚れは落ちないのだろうか。どっちにしたって本当に汚れが落ちているかどうかなんて誰もわからないだろう。

昨日よりも寒く感じる。さっさと外の物干し竿にかけて、コーヒーを淹れる。寝起きですぐに食べるのが習慣になっているものの、量をそんなに食べれなくなってきた。菓子パン1つ放り込んで、健康の為に買ったサプリを3種類コーヒーで流し込む。

ぎっくり腰になってからだいぶ状態がよくなってきた。一生縁のないものだと思っていたけれど、突然なった。悪いことほど人間よく覚えているものだから、思い出話が1つできたと思うしかない。

少し庭で太陽を浴びる。太陽が顔を見せたり、隠れたりしてしまうので思いの外温まらず、すぐに室内に退散する。パジャマのまま靴下を履き、二階に上がり炬燵に入る。小さい炬燵だが意外と温かい。部屋に炬燵がある状況はかなり夢だったが、叶ってしまうとなんとも思わなくなる。感動や夢を追い求めることは、その課程が面白いのであって叶ってしまえばなんてことのない日常にすり替わるものなんだな。

何かやろうかと迷い、英語の学習を始めるも数分で飽きる。独学には鋼鉄の意志の力が必要であって、よくわからないけれどとりあえず役に立ちそうだからという動機では何も続かないのが凡人であり僕である。凡人の定義は知らない。ただ凡人と定義することによる言霊で自分が不甲斐ない人間であるということは認めない。言霊は結構影響があるらしいし、実際そう感じる節もある。

腰も痛いのでゲームでもして暇を潰そうとしても飽きてしまう。物語を追うこととレベルが上がり強くなることを実感しているうちは楽しいかもしれないが、終わってしまい周回となるとただただ苦痛な作業に成り下がる。スマホのゲームは札束での殴り合い。そんなお金なんてあいにく持ち合わせていない。

読みかけの小説に手を出してみる。読み始めるまでがとてつもなく遠くて怠いのだが、読み始めると案外熱中できるもの。少しの充実感と多少何かしら学んだ気になっているものの翌日にはほぼ忘れている。娯楽と割り切っているのでそれで一向にかまわない。いろいろなことから学ぶことがあると大人は口をそろえて言う。しかし、そんに学ぶことがあるなら人類はもっと平和に楽しく過ごせているだろう。そうならないのは何も学んでいない証拠だろうと、愚かな自分ながらに思う。

散歩をしようにも寒いし腰は痛いという理由をつけて部屋に篭もる。外界との交流は大事だと人々は言うが、それはものすごくエネルギーと金銭を消費することが多い。最低限の繋がりがあればそれでいい。皆に良い顔をしても得るものは少ない体質だ。そもそも何かを得たいが為に誰かに会うなんて打算的な気さえする。何か良いことを期待し求めてしまえば、失望に出会う確率が増える。何もしなければ何も起こらない。バランス感覚を持った行動が大事だとは思うがそんなのは気にしない。

しかし篭もり続けていると精神衛生上不安定になるときもある。人間は食事、睡眠、収入がある程度得られれば安定するものだろう。甘いものを断つ決意をする。甘いものばかりを食べていると鬱っぽくなるらしい。たしかにそんな感覚を感じることがあるから辞めることにした。豆腐と梅干しは前向きにしてくれるらしい。どこかで医者が言っていたというのを見た。ヨーグルトも最強の食べ物の1つらしいし、そう信じることによりプラシーボ効果を誘発する狙いもあり食べている。しかし、お腹が膨れていても食べたくなる衝動がある。太古からの本能によるカロリー貯蓄行動みたいだが、構造早く変わってくれよと無駄な願望を抱く。無駄な願望が非常に多い。人を疲れさせるだけだ。

嘆いても希望に満ち溢れたふりをしていても1日は同じように終わるのだから、楽しく生きたいと言っている人がいる。心底尊敬する。どこからそのようなエネルギーは溢れてくるのか。ただ無理をしているように見えなくもないが、それを実行しているのが目に見えてわかるから凄い。やはりエネルギッシュな人間でないと生きていけないのか。太古からの狩猟生活だってバイタリティにあふれていないと生きていけない環境だったわけで。いつの時代も弱肉強食は本質なのかもしれない。すると自分のような人間は計算高く、したたかになる必要があるのではと思うときもあれど、それもまた莫大なエネルギーが必要な話。常にエネルギーが足りていない気がする。いや、足りていない。

夕飯は軽めにすましつつ、安眠するためにはどうしたらいいか考えるものの環境が変わらないと安眠なんてできないとわかりきっているのだ。そもそも人は常に心安らかな状態でいることはないだろう。不安の種はそこら中に転がっている。そして、不安を生み出すのは自分自身である。ある事象に対して自分がどう解釈するかで状況は変わる。より楽観的に解釈するために必要なものは何だろうか。経験か、訓練か、生まれ持った素質か。

生きているだけで丸儲けなんて信じきれないけれど、なるようになれという思い切りを持って明日は外に出て働いてくる。